「俺以上に『俺』なやつはいないと思ったから復帰できた」NONKEYロングインタビュー(後編)

7/20に新曲「ハッピーエンド」をリリースする、「横浜No.1パーティロッカー」、NONKEYさん。2016年9月に病気で入院し、それを経て初めてのリリースとなります。
インタビューの後半(前半記事はこちら)では、NONKEYさんが病気からどのように復帰を成し遂げたかを語っていただきました。

「NONKEYはまだ終わってない」と思っていた

脳出血っていう病気をして入院したのが、2016年の9月。それから11月まで入院していました。

まずは突然メールが返せなくなってしまって、そのあと熱が出て。家族に病院に行ったら、と言われて行ってみたら、すぐにICU行きに。もう少し遅かったら、死んでいた可能性もあるような病気でした。全く痛いとか、そうした感覚はなかったのだけど、俺は脳の言葉を理解する部分がやられてしまって……頭の中ではちゃんと考えられているんだけど、思っている通りに言葉を伝えられない状態になってしまったんです。
リハビリが始まって、まず「思いつく鳥の名前を1分間で書けるだけ書いてください」って言われたんだけど、「ツバメ」って書いたらもうそのあとが出てこない。そのあとは「あいうえお」から始めて、自分でしりとりの練習とかもするんだけど、2文字でやるのが精一杯なんですよ。自分がやっていたラップの曲も思い出せなかった。
リハビリ専用の病院に移ってからは、頭のリハビリと併せて、食事制限が始まった。当時俺は104kgあったから、「痩せないと、死にますよ」と言われてね。脳出血は再発の可能性も高い病気だから、生活習慣もちゃんと整えなさい、となった。人生でダイエットなんかしたことなかったから、カロリー制限も初めて。運動も、始めは階段を登るだけでも大変でした。

でも、体重制限をする中でわかりやすく数字が減っていくのを見られたりだとか、リハビリをするうちに少しずつ脳が元に戻っていくのも感じてきました。そこでお医者さんに、「やってきた活動を、仕事として、また再開したいんです」と伝えたら、リハビリの内容も変わってきた。まずはニュースを言われて、「数分後にその内容について説明してください」って言われるんです。自分の中でポイントを絞って、話を組み立てて、オチをつける。だから、昔生徒会長の時にやっていたことと同じだな。お医者さんもリハビリをするにつれて、俺のつまづく部分や、職業として必要としている箇所を理解してくれるようになっていたしね。

未だにフリースタイルは、入院する前と比べたら少しキツいな、と思うこともあります。もう前の俺にはなれない、と思うと確かにちょっと凹む。でも、これもポジティブなところで「違う俺を手にするチャンスなんだ」って思うわけ。「もう150キロのストレートは投げられない、なら変化球を練習しようかな、逆に意外とバッターだったらいけるんじゃねえかな」って考えられるメンタルが俺にはあったんだな。

だから病気になって、実は意外と凹まなかったんです。もちろん大変なことがなかったわけじゃないですよ。ただ、俺は20代以降、「もうダメだ!」みたいな自己嫌悪に陥ることはほぼなくて、今回も「まあ大丈夫でしょう」って思っていた。あとはこういう時って、「体壊したんだから、ゆっくり休みな」と言われることってあると思うし、もちろんそういう言葉をかけてくれる人もいたんだけど、それ以上に「お前はMCをやっていた方がいい、さっさと復帰した方がいいよ」と言ってくれる人が多かった。MCである俺をリスペクトしてくれていたんだと思います。
自分でもなぜかわからないけど、しりとりもろくにできないのに、ラップや司会ははやめないだろうな、とか、またMCをやるんだろうな、というのは強く思っていました。「NONKEYはまだ終わってない」と当然のように思っていたんだよね。俺以上に「俺」なやつはいないし、俺がいた方が絶対にいいでしょ?って。例えばもうラップはやめて、働いて結婚して……っていう選択肢もあったけど、まだ、37,38歳。まだ本当の俺は知られてないんじゃないか、もっと俺のこと知ってくれよ!っていう気持ちが強かったんだと思う。だから復活できたんじゃないかな。

天職っていう言葉があります。もちろんそいつが成功しているものが天職、っていう考え方もあるけど、例えば営業成績のいい営業マンでも、イヤイヤやっている可能性もあるから、それを天職って呼べるかどうかは微妙なところもある。俺はドカンと売れているわけではないけど、今やっていることが天職だな、と思います。だから未だに、ラーメン屋でバイトをしながら、ラップや司会…つまりMC業をしているし、入院しようが何があろうが、MCでいるんだろうな、と思うんです。

ビジネスマンラッパーに必要なのは、リスペクトと覚悟

俺は2009年のUMBの決勝で鎮座DOPENESSに負けました。それ以降、MCバトルに関して、「勝ちたい」という思いはないんです。
実はその年、横浜予選に勝てなかったら、俺はラップをやめようと思っていました。もう30歳になるし、CDを出しても大きな反響はない、もうやめ時なのかな、と。それなら絶対にやりきりたい、だから2009年はめちゃめちゃ勝ちたいと思ってバトルに臨んで、結果、横浜予選で優勝しました。そのあとのバトルに関しては、俺に商品価値を感じてくれた人のオファーに関しては受けるし、地元のシーンを盛り上げるために出ることはあるけど、自分から「勝ちたい」と思って出ることはないですね。

2010年から、B-Boy Parkの司会になりました。前年の全国大会でそこそこいいところまで行ったやつが司会になる、っていうのは、8mileのラストでフューチャーがエミネムに、「優勝したら一緒に司会をやらないか」って言っているシーンもあるように、割と真っ当だよね。ついで2011年はラバダブのトーナメント・FLEX CUPで優勝して、2012年に「ゴッドタン」に出演。2013年はR-1グランプリに出て、2014年はROAD TO 横浜レゲエ祭へ。2015年にはRed Bull Energy Drink THE SUMMER EDITIONという楽曲のコンテストで優勝。……要は1年ごとに、自分が前の年には考えていなかったことをやりたかったんだ。他の人がチェックしているかはわからないけど、「2009年のUMBで準優勝したやつが何をすべきなのか?」ということを強く意識していたんです。自分が毎年新しいことをやる、というハードルを越えていけなかったら、それは2009年に、「これに勝てなかったらラップをやめる」という、当時の自分が自分に課したハードルは越えられないんじゃないか、と思った。

レゲエやお笑いの現場にひとりで乗り込んでいっていたわけですが、そうしたHIPHOP以外の現場に行く時に必ず思っていたのは、畑違いの人たちを納得させなければならない、ということ。出るからには、みんなを納得させるという意味でも優勝しないといけなかった。優勝したら誰も文句言えないでしょう? R-1に関しては2回戦で負けたのだけど、同じく1回戦を勝ち上がった出場者のネタやお客さんの反応を見て、「これは俺、優勝できないな」と思った。だからその年以降は出てないんです。

自分が畑違いのところに行く時には、リスペクトと覚悟をちゃんと持った状態で臨むべきだと思う。それこそビジネスマンラッパーの人はMCバトルで「二足のわらじ」的なことを言われがちだと思うけど、ちゃんとリスペクトがあればいいと思う。逆にリスペクトがないのなら、正直俺は「やめておいたほうががいいぜ」と思うかな。ラップはやろうと思えば、簡単に始められるし、お金さえ払えばバトルにもエントリーできる。でもお客さんがいる場所でマイクを持たせてもらえるって、MC業から言わせてもらえば、そんなに簡単なことじゃないよ。例えば飛び込み営業に行って、「帰れ」って言われても「名刺だけでももらってください」って食いさがるのと同じことだと思うから。それは覚えておくべきだし、逆にそれを気にしておくと、より楽しめるようになるんじゃないかな。

最近では社会人、大学生、高校生……ってMCバトルもカテゴライズされているけど、それはお店で「今日は貸切です」って言っているのと同じだと思う。貸切のお店でやっている結婚式の二次会で、歌を歌っている人に「下手くそ!」って文句言う人はいないでしょ? でも、もしそこにお金を払っている人がいたら、話は違ってくる。その日、初めてクラブにくる人がいるかもしれない。初めて「HIPHOP」っていうものを楽しみに来た人がいるかもしれない。だとしたら、もしHIPHOPの人がイベントを見たときに「なんだこれ」って思わせるようなものにはしたくないよね。そんな時は、さっきの「名刺だけでももらってください」という気持ちが必要だと思うな。

2017/07/20 リリース:NONKEY&DJ CAN 「ハッピーエンド」

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(構成、文: Yasco.)

Yasco.
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渋家株式会社取締役。総務、会計、ライター。「UMB予選×Businessman Rap Tournament」ベスト4、第1回シンデレラMCバトル出場などの戦績を持つ。